バーレスク東京やParty on tokyoの経営者である内藤良太さん。
学歴を見てみると喧嘩を理由に高校中退していたのですが
その後、いくつもの店舗を経営する起業家へと転身されています。
そこで今回は内藤良太さんの学歴や経歴について調査しました。
内藤良太のプロフィール
内藤 良太(ないとう りょうた)
生年月日:1972年9月9日
出身地:大阪府大阪市生野区新今里出身
職業:実業家、演出家、空間プロデューサー、
バーレスク東京・boxdisco partyon創設者
内藤良太の学歴まとめ
内藤良太さんの学歴についてまとめました。
出身小学校:大阪市立東中川小学校卒業
出身中学:大阪市立東生野中学校卒業
出身高校:大阪府立勝山高等学校中退
大阪市立東生野中学校卒業
内藤良太さんは大阪市立東生野中学校を卒業されています。
大阪市立の公立学校であり、地元の学校に通っていたようです。
内藤さんの地元である大阪市生野区にはコリアンタウンもありますが
当時もクラスメイトの3分の1は韓国人という環境だったようです。
また、中学時代の内藤さんは当時流行っていた【スクール☆ウォーズ】の影響を受けて
ラグビー部に所属していました。
そして中学3年生の時は関西大会に優勝するなどかなり強豪校だったようですよ。
大阪府立勝山高等学校中退
中学卒業後、内藤さんは大阪府立勝山高等学校へ進学されています。(偏差値36)
中学時代から喧嘩に明け暮れていた内藤さんでしたが
高校進学後も喧嘩が理由でわずか1ヶ月で自主退学をされています。
当時を振り返って
リアル「クローズZERO」だった
と語っていたほど、誰が一番強いかを競うために喧嘩に明け暮れていたそうですよ。
内藤良太の経歴まとめ
内藤良太さんの経歴についてまとめました。
高校退学後、ショーパブオーナーにスカウトされショーパブダンサーに。
1993年 ショーパブの経営者に
2002年 ショーパブ店「ドラゴン」をオープン
2011年 六本木のショークラブ『バーレスク東京』オープン
2017年 ボックスディスコ『Party on tokyo』オープン
高校退学後ショーパブダンサーに
高校を自主退学した内藤良太さんは
ショーパブオーナーにスカウトされたことがきっかけでショーパブダンサーになりました。
その当時、ダンサーとして在籍していたのが
マハラジャ系列「トッツィー」
A-Project「大阪ギャルソン」
だったそうですよ。
また、サパークラブ「KEMUSHI」の創設者である小田吉男さんは
なんと、内藤さんの幼馴染でとっても仲が良いそうですよ。
その幼馴染が経営しているクラブでショープロデューサーとして活躍していた内藤さんは、
それがきっかけとなり、ショービズ界の第一人者として注目されるようになりました。
ショーパブの経営者に!
内藤良太さんは、21歳という若さで初めて経営者としてショーパブの運営を行なっていました。
当時は、スナック営業終了後の25時から店を借りて
朝までショーパブを行うという運営だったそうです。
21歳という年齢で既に経営者ってすごすぎですよね!
2002年に東京進出
2002年、内藤良太さんは30歳の時に上京しています。
そして、六本木で富裕層向けにオープンしたのがショーパブ店【ドラゴン】でした。
その後、全国主要都市8店舗運営するなど経営規模を拡大させています。
また、2011年には同じく六本木にショークラブ「バーレスク東京」をオープンさせています。
バーレスク東京では、
プロデューサー兼ディレクターとして活躍していた内藤さん。
ショーパブドラゴンでは男性ダンサーを起用していたのが、
バーレスク東京では女性を起用したことでさらに注目されました。
2017年にはボックスディスコ『Party on tokyo』もオープンしており
プロデューサーとして就任されています。
まとめ
いかがでしたか?
今回は内藤良太さんの学歴や経歴について調査しました。
内藤良太さんの学歴は
出身小学校:大阪市立東中川小学校卒業
出身中学:大阪市立東生野中学校卒業
出身高校:大阪府立勝山高等学校中退
であり喧嘩が理由でわずか1ヶ月で高校を中退していましたね。
また、高校中退後はショーパブダンサーとして注目を浴びた内藤さん。
そこから起業家としてもその活躍ぶりはすごく、
数々の店舗を経営されていることもわかりましたね。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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