【壮絶】泉房穂の生い立ちに号泣!弟の障害や極貧生活で若い頃から政治家を目指していた!?

人物
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現在テレビ出演で何かと話題になる泉房穂さん。

元明石市長であり弁護士としても活躍されている人物ですよね。

そんな泉房穂さんの生い立ちは実は壮絶なものでした。

そこで今回は泉房穂さんの若い頃の画像と共に生い立ちを紹介していきますね。

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泉房穂のプロフィール

泉 房穂(いずみ ふさほ)

生年月日:1963年8月19日

出身地:兵庫県明石市二見町生まれ

職業:政治家、弁護士、社会福祉士

泉房穂さんは、2003年、第43回衆議院議員総選挙に民主党公認で兵庫県第2区から出馬して

選挙区では惜しくも落選していましたが、比例近畿ブロックで復活して初当選されています。

そこから政治界入りを果たした泉さん。

衆議院議員や明石市長を歴任しています。

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泉房穂の幼少期から学生時代

まずは泉房穂さんの幼少期から学生時代を紹介していきます。

兵庫県明石市の漁師町で生まれた

泉房穂さんは1963年に兵庫県明石市二見町で生まれました。

幼少期の頃の泉房穂さんがこちら。

泉房穂さんの公式HPより

めっちゃ可愛い子ですよね。

両親は漁師町で漁師として働いていましたが、貧乏な暮らしをしていたようです。

そして弟は4歳下なのですが、障害を持って生まれており

障害児施設を両親が設立して、幼少期はそこで一緒に遊ぶことが多かったんだそうです。

泉さんと弟さんの画像がこちら。

泉房穂さんの公式HPより

障害のある子供たちと一緒に遊ぶ中で

【困っている人の力になりたい】

と子供ながら思っていた泉さん。

なんと10歳の時にはすでに、社会を変えるために

明石市長になりたい!

と思っていたそうですよ。

10歳から政治の道に進みたいと思っていたなんてすごいですよね。

 

学生時代

小学生から高校生になるまでの泉房穂さんは、地元の学校に通っていました。

高校3年生の時には生徒会長も務めていたそうですよ。

生徒会長と言えば成績が優秀な人や校内で人気がある人が務めるイメージですが

泉さんは大学は東京大学へ進学していることから、きっと学校で成績も良かったのでしょうね。

また、勉学だけでなく運動もできた泉さん。

野球やサッカー、柔道、ラグビーなど色々なスポーツをしていたようです。

特に柔道は柔道三段の腕前であり文武両道であったことがわかりますね。

学生時代の泉房穂さんがこちら。

スポーツも勉強もできる泉さんは、学生時代きっとモテていたでしょうね。

 

東大で経済学を学んでいた

高校時代から猛勉強した泉さんは東大に現役で合格しています。

泉さんは東京大学文科二類に入学しており、経済学を学んでいました。

そして東大に通っている間、両親からの仕送りを受けずに

授業料免除+奨学金+バイトと苦学生として生活していた泉さん。

東大在学中は駒場寮という学生自治寮の寮長も務めていたようですよ。

東大時代の泉房穂さんの画像がこちら。

真ん中が泉房穂さん

この頃、写真家でエッセイストの沢木耕太郎さんや藤原新也さんに憧れていた泉さん。

特に藤原さんの出版した本に感銘を受けたそうです。

出典:泉房穂さんのXより

そして、一時は東大に退学届を出してインドのガンジス河に旅をしたことがあるそうです。

しかし、退学届は受理されず、1年間の留年を経て

1987年に東京大学教育学科教育哲学・教育史コースを卒業しています。

出典:Xより

泉さんは中国にも旅を何度かしており人民列車の旅をして

現地の子供たちと時間を過ごすこともありました。

これらの写真を見ていると子供好きな泉さんということがわかりますね。

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泉房穂の20代〜30代頃

次に大学卒業後からの泉房穂さんについて紹介していきますね。

大学卒業後NHKに入局していた

泉房穂さんは大学卒業後にNHKに入局しています。

泉さんはディレクターとして番組制作を担当していました。

当時の泉房穂さんの画像がこちら。

しかしなんと1年間で早々に転職した泉さん。

転職後は、テレビ朝日で「朝まで生テレビ」の担当もしていたそうですよ。

朝まで生テレビ!
テレビ朝日系列(ANN系列)で放送されている政治関連を中心とした討論深夜長寿番組
。略称は『朝生』。

 

議員秘書へ転身

泉房穂さんはテレビ局のディレクターを退職して

石井紘基民主党衆議院議員の秘書を務めていました。

石井 紘基(いしい こうき)
財政学者、政治家。
民主党などで衆議院議員(3期)、総務政務次官(羽田内閣)として活動。

秘書時代の泉房穂さんがこちら。

左が泉房穂さん

 

そして1990年に石井紘基さんが選挙に落選した時に泉さんに伝えた言葉がこちら。

これ以上、若い君を引っ張れない。
いずれ君は政治家になるだろう。
その前に弁護士になって人を助けなさい。
生活の基盤を作りなさい。
落選を恐れて志を失う政治家になってほしくない。
君なら司法試験なんて楽勝だよ。

泉房穂さんの投稿より引用

 

泉さんは当時のことを振り返り、

『石井紘基さん』との“出会い”がなければ、私は「弁護士」にはなっていなかった。

『石井紘基さん』との“別れ”がなければ、私は「国会議員」にはなっていなかった。

と語っていました。

石井さんとの出会いがあったからこそ、政治家になる前に弁護士という道を選んだんですね。

石井さんもすごく素敵な政治家だったんですね。

 

橋下徹とは弁護士を目指していた頃の同期

その後泉さんは司法試験に合格して司法修習を1995年から開始しています。

当時泉さんは32歳でした。

そして司法修習の時に同期だったのが、橋下徹元大阪市長だったそうですよ。

橋下 徹(はしもととおる)
弁護士、政治評論家、タレント、政治家。
大阪府知事、大阪市長、大阪維新の会初代代表などを歴任。

 

泉さんと、橋本さんは2年間研修のうち、前半と後半の半年は一緒の寮で過ごしており、

ラグビーサークルも一緒だったそうですよ。

残念ながら当時の画像は公表されていませんでしたが、

2人とも同期で仲が良かったようですよ。

 

神戸市、明石市に弁護士事務所を開設

泉房穂さんは1997年の弁護士になった当時は、明石市と神戸市で弁護士事務所を開設しています。

そして現在も明石市にある「いずみ法律事務所」で弁護士として活躍されていますよ。

こちらが弁護士になった当時の泉房穂さん。

後述しますが、泉さんは2003年から政治界入りを果たしていますが、

その頃は政治活動が忙しく弁護士としての仕事は一旦休んでいたようです。

しかし、2007年から弁護士としての活動を再開しており

その時に社会福祉士の資格取得と手話検定2級の資格も取得されています。

 

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泉房穂の40代〜現在

泉房穂さんの40代から現在について見ていきましょう。

2003年から政治界入りを果たす

泉房穂さんが政治界入りしたのは、2003年でした。

第43回衆議院議員総選挙に民主党公認で兵庫県第2区から出馬した泉さん。

選挙区では落選していたのですが、

重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し、初当選を果たしています。

その当時の画像がこちら。

 

そして、2011年に明石市長選挙に無所属で立候補した泉房穂さんは

69票差という接戦の末、初当選を果たし、念願の明石市長に就任しました。

子供の頃から夢だった明石市長になるなんてすごいですよね!

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まとめ

いかがでしたか?

今回は泉房穂さんの若い頃からの生い立ちを時系列で紹介しました。

若い頃から好奇心旺盛で色々な職種の経験を持っている泉房穂さん。

すごい経歴の持ち主でしたよね。

現在はテレビ出演や弁護士業務をしている泉さんですが、

今後もますますの活躍を期待しております。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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