女優として活動されている遠野なぎこさん。
遠野さんは、母親のことや摂食障害について自叙伝を出版されていますが
遠野なぎこさんの生い立ちが壮絶で現在も摂食障害に苦しんでいるようです。
そこで今回は遠野なぎこさんの壮絶な生い立ちをまとめました。
遠野なぎこのプロフィール
遠野 なぎこ(とおの なぎこ)
本名:青木秋美
生年月日:1979年11月22日
出身:神奈川県川崎市
身長:164㎝
学歴:川崎市立中野島中学校→東京都代々木高校定時制中退
趣味:料理、読書、猫と遊ぶ
遠野さんは、1994年〜2010年まで「遠野凪子」という芸名で活動していましたが
その後現在の芸名「遠野なぎこ」に変更しています。
遠野なぎこの生い立ち
遠野なぎこさんの生い立ちについて簡単にまとめました。
1979年に神奈川県川崎市で生まれる
幼少期は母親からの育児放棄と虐待にあう
6歳から子役デビューを果たす
15歳の頃から摂食障害になる
16歳頃から一人暮らしを始める
遠野なぎこの出生時
遠野さんは1979年に神奈川県川崎市で生まれました。
当時、遠野さんの母親は18歳で妊娠し19歳で遠野さんが生まれたそうです。
出生後の遠野さんの画像がこちら。
すごく可愛い女の子ですよね。
元々女優志望だった遠野さんの母親ですが、
遠野さんの父親と出会って駆け落ちをして遠野さんが生まれたそうですよ。
そのため、女優になることも断念し、駆け落ちしたため生活苦になっていた状況で、
「自分の人生を狂わされた」と思ったようで、
そこから幼少期から母親の虐待に苦しめられていたそうです。
4人兄弟の長女だった
遠野さんは
遠野なぎこさん、弟、妹2人
の4人兄弟で長女でした。
遠野さんの両親は遠野さんが小学5年生の時に離婚しています。
遠野さんと弟、上の妹までは父親が同じだそうですが、
一番下の妹は2番目の父親と母親の間にできた子供だそうです。
遠野なぎこは幼少期から虐待にあっていた
最初の父親の子供は、遠野さんと弟、上の妹と3人いるのですが、
幼少期の頃から、なぜか遠野さんのことだけ
両親は遠野さんのことを殴ったり、髪の毛を掴まれて壁に叩きつけれたり
出血するほどの暴力や精神的な苦痛を与えていたそうです。
弟や妹には両親はとても優しかったそうで、
幼い遠野さんは
自分は邪魔者なんだ
と思うほどだったそうです。
また、母親は「母」になりきれずに「女」として生きていた人だと語っていました。
男性をコロコロ変えては家を出て行くこともあり、1週間家に帰ってこないこともありました。
その時は長女である遠野さんが兄弟の面倒を見ていたそうですよ。
遠野なぎこは6歳から子役としてデビュー
遠野なぎこさんは6歳から子役としてデビューしています。
幼少期の遠野さんの画像がこちら。
元々、母親が女優志望だったのになれなかったという経験があることから
その夢を弟と妹に託していた遠野さんの母親ですが、
弟や妹の劇団への送り迎えを遠野さんに任せていました。
当時のことを振り返って
自分もまだ小学生だったのに電車に乗って小さな兄弟たちの手を引いて送り迎えをするというのは、相当に神経を使うことだった
と語っていました。
しかし、ある日、
弟と妹の児童劇団に送り迎えに行った時に、たまたま劇団のスタッフが
お姉ちゃんも、子役やってみない?
と声をかけてくれました。
遠野さんのことを「醜い」と言い続けていた母親で
スタッフの入団の誘いも断っていましたが、
粘り強いスタッフの説得のお陰で子役として劇団に入ることが決まりました。
それが子役時代の始まりだったんですね。
テレビドラマデビューは10歳
遠野さんがテレビドラマデビューを果たしたのは、10歳の時でした。
NHK銀河テレビ小説「ある時は妻」
NHK銀河テレビ小説「ある時は妻」
定年後に訪れやすい熟年夫婦の危機を通して、
夫婦とは、家族とは何かを問いかけているドラマ。
なんとこのドラマが大ヒットして、一躍有名になった遠野なぎこさん。
それがきっかけで、
母親からバレエやピアノ、習字などの習い事をさせてもらえるようになったそうです。
母親にやっと認められた!
と喜びました。
そして、母親の期待に添えるよう一生懸命習い事や仕事を頑張りましたが、
褒めてくれたことは一度もなかったそうです。
母親からの対抗意識が強くなり、虐待がエスカレートする
遠野さんが芸能界で活躍し始めると、「女」として嫉妬していくようになった母親。
遠野さんが
演技が上手くいかなかった
体型が気になる
など自分を否定したり自虐的なことを言うと喜んでいたそうです。
また、外出するときは綺麗な服を着させてくれたそうですが
家に帰ると殴る蹴るの暴行をされていたそうです。
遠野さんへの虐待は他にも
当時の母親の彼氏の下半身を見せられて、褒めるよう指示される
義理の父親と一緒に入浴するよう強制される
ブス、醜い、鼻が低くて目が細すぎる、肌が汚い、脚が短いなどを繰り返し言う
など身体的にも精神的にも虐待に遭っていました。
それでも、遠野さんにとってはたった1人の母親で
ずっと認めてほしいという気持ちが強く、
仕事や兄弟の世話など頑張って全て母親の言う通りに従っていたそうです。
また、遠野さんは、当時、母親から言われ続けた心無い言葉のせいで
自分のことを認められないのだそうです。
収録や撮影で、大きな鏡の前でメークしてもらうときは、自分を直視できないです
と語っており、小さい鏡でしか自分のことを見れないんだそうです。
当時の遠野さんの画像がこちら。
15歳の頃から摂食障害になった遠野なぎこ
遠野さんは、15歳の頃から体型が気になって
このまま仕事がこなくなるのでは?
と言う不安が強くなり、母親に相談したそうです。
しかし、母親も実はその頃摂食障害であり、
吐けばいいのよ。吐いちゃえば、太らないんだよ。やってごらんなさい
と勧めたそうです。
それがきっかけで母と同じく遠野さんも摂食障害に悩まされるようになりました。
体型が当時からスリムだった母親は、過食嘔吐を繰り返していた摂食障害だったそうですよ。
摂食障害とは
必要な量の食事を食べられない、自分ではコントロールできずに食べ過ぎる、いったん飲み込んだ食べ物を意図的に吐いてしまうなどの症状がある障害。
きっと遠野さんの母親も摂食障害で辛かったんでしょうが、
それを実の娘にも勧めるなんて想像がつきませんよね。
16歳頃から1人暮らしをし始めた遠野なぎこ
遠野さんが15〜16歳の頃に出演したドラマ「未成年」をきっかけに
人付き合いに飽きっぽくなったり、妙に冷めた性格になったりしたそうです。
この時期の遠野さんは、我慢も限界に達しており、
女優業を休業したり、親から離れて一人暮らしを始めたりしていました。
女優業に関しては、休業中も夢に仕事のことが出てくるため
女優しかないのだと思い復帰したそうです。
まとめ
いかがでしたか?
壮絶すぎる遠野なぎこさんの生い立ちでしたよね。
遠野さんの母親は2022年に自死していますが、現在も遠野さんは摂食障害と戦っています。
複雑すぎる家庭環境で育った遠野さんに幸せになってほしいですね。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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