星野富弘のwiki経歴プロフ|中学の体育教師から詩画作家になったきっかけは?

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詩画作家で有名な星野富弘さんが、4月28日呼吸不全のため78歳で逝去されました。

星野さんは手足が不自由でしたが、口に筆をくわえながら作家活動をされ、

その作品は小学生や中学生の道徳や国語の教材としても使用されていました。

今回はそんな星野富弘さんの経歴について調べてきました。

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星野富弘のプロフィール

星野富弘(ほしの とみひろ)

生年月日:1946年4月24日

出身地:群馬県勢多郡東村(現みどり市東町)

学歴:群馬大学教育学部体育科

職業:詩人・画家

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星野富弘の経歴まとめ

星野富弘さんの経歴についてまとめました。

1970年 高崎市立倉賀野中学校に体育教師として赴任

1972年 病院に入院中、口に筆をくわえて文や絵を書き始める

1979年 前橋で最初の作品展を開催、同年9月退院し、帰郷

1982年 高崎で「花の詩画展」開催

1991年 群馬県勢多郡東村(現みどり市東町)に村立富弘美術館開館

1994年 ニューヨークで「花の詩画展」開催。その後も次々と海外で作品展を開催

2006年 群馬県名誉県民となる

 

教師時代の事故が原因で脊髄損傷!?

星野富弘さんは1946年、群馬県勢多郡東村(現みどり市東町)に生まれました。

1970年に群馬大学教育学部卒業、

同年4月に高崎市立倉賀野中学校へ体育教師として赴任します。

しかしそのわずか2ヶ月後、クラブ活動(器械体操)の指導中、

模範演技で空中回転したとき誤って頭部から転落してしまい頸髄を損傷し、

星野富弘さんは首から下の自由を失ってしまいます

 

口に筆をくわえての作家活動

1972年 星野さんは病院に入院中、口に筆をくわえて文や絵を書き始めます

その後闘病生活は9年間にも渡りましたが、家族の献身的な介護と協力の下、

口に筆をくわえて詩画を描く才能を開花させました。

  

作家として活躍

引用元:みどり市 富弘美術館

1979年、星野さんは前橋で最初の作品展を開催しました。

そして同年9月退院し、帰郷します。

1981年に雑誌や新聞に詩画作品や、エッセイを連載し、

1982年、高崎で「花の詩画展」開催しました。

また、1991年には群馬県勢多郡東村(現みどり市東町)に富弘美術館が開館されました。

 

海外で展示を開き有名に!

海外での展示歴

■1994年 ニューヨークで「花の詩画展」開催。

■1997年・2000年 ホノルルで「花の詩画展」開催。

■2001年 サンフランシスコ・ロサンゼルスで「花の詩画展」開催。

■2004年 ワルシャワ国立博物館での「花の詩画展」

星野富弘さんの作品は日本だけでなく、

海外でも大きな反響とともに高く評価されています

  

群馬県名誉県民に!?

2005年に(新)富弘美術館新館を開館した星野さんは、

翌年の2006年に群馬県名誉県民に選出されました。

また、2011年には第1回群馬大学特別栄誉賞受賞したり

2012年には第79回NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部課題曲

「明日へ続く道」および「もう一度」を作詞するなど

国内外で活躍する詩画作家となりました。

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まとめ

いかがでしたか?

今回は星野富弘さんの経歴について調べました。

星野富弘さんの経歴まとめはこちら

1970年 群馬大学教育学部卒業 同年4月、高崎市立倉賀野中学校に体育教師として赴任

1972年 病院に入院中、口に筆をくわえて文や絵を書き始める

1979年 前橋で最初の作品展を開催、同年9月退院し、帰郷

1982年 高崎で「花の詩画展」開催

1991年 群馬県勢多郡東村(現みどり市東町)に村立富弘美術館開館

1994年 ニューヨークで「花の詩画展」開催。その後も次々と海外で作品展を開催

2006年 群馬県名誉県民となる

星野富弘さんは不慮の事故で首から下の自由を失いましたが、

入院中に作家活動を始められ、現在までにたくさんの素晴らしい作品を生み出されてきました。

その作品は国内はもちろん、海外でも多くの感動を人々に与えられたんだと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございました

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